首相の辞任表明のニュースがやっていた。
テレビの長方形の画面の左上に、「石破おろし」とあった。
「大根おろし」が頭に浮かんで、「石破おろし」とは何か新手の料理かと勘違いした…
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というのはでたらめで、タイトルの「石破おろしと大根おろし」は単なるダジャレ。だけれど、あながち嘘でもなくて、「石破おろし」という文字列を見て、大根おろしの映像が0.2秒くらいよぎったのは事実。
きっかけはくだらないけれど、「大根おろし」という言葉を今一度考え直すと、なぜ「おろし」という言葉が使われているのか気になった。
よく考えてみると、「下ろす」という言葉から来ているんだろう。
こういう基本的な語彙は、色々な意味で用いられて面白い。逆に言えば、外国語学習を難しくする原因でもある。が、母語であれば簡単に同じ単語を色々な意味で使いこなせるから不思議である。むしろ日本語を使いこなして、外国人を翻弄してやろう。
「下ろす」はつまり、何か物を下方へ移動させる意味の動詞で、「おろし」はその連用形である。
大きめの国語辞典をひらけば、何か書いてあるんだろうけれど、手元にないから想像する。「おろす」をもう少し丁寧にいうと、「擦り下ろす」ということになるだろう。本義はむしろ消去された「擦る」のほうで、物を何か別のざらついた物体に接触させ前後に動かすあの動作である。
適当なサイズに切った大根を、おろし金の上に付けてスリスリすれば、そぼろ状というのか、繊維と水分が絶妙に混じり合ったあの物体、「大根おろし」ができあがる。擦って、下に落ちるから、擦り下ろすというのだろう。人参を擦った「おろし」を「紅葉おろし」というけれど、なんとも洒落た言葉である。どっかのハンバーグ屋で紅葉おろしとぽんずが出てきたけど、あれはうまかったなあ。
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中西進に『ひらがなで読めばわかる日本語』という本があるけれど、これは漢字で書かれた言葉をひらがなにしてみると、その意味の本質がよくわかるという趣旨のもの。今回はある意味反対で、「おろし」を漢字にして「下ろし」とすると、元の意味がわかってくる。
これが起こる理由は、まず多義語があって、漢字によってその意味をかき分けていることにある。漢字によるかき分けは便利だけれど、もとの言葉が実は同じであることを隠してしまう作用もある。
「おろす」というのもやはり多義語である。
あまりよくない意味だけれど、「おろすの?」「おろしたの?」という風に、主語や目的語無しで使われると、堕胎を表すこともある。この用法は平安時代からあるらしい。
「卸」と書けば、急に商業の匂いがしてくる。本来は棚に閉まってあったものを、使うために下におろす「棚卸し」から来ているのだろう。つまり「棚下ろし」と書いたほうがもとの意味はわかりやすい。似た使い方に、靴や服を「おろす」というものがある。これは新しい衣類を使い始める際に使われるが、やはり、閉まってあった場所から下におろすというのが原義である。
「颪」という見慣れない漢字は「おろし」と読む。これは山から「吹き下ろす」風を言う。つまり、「吹く」という要素がなくなって、「おろし」になっている。これは、「擦り下ろす」から「おろす」に変わる場合と似ている。だいたいは「〇〇おろし」と言って、〇〇の部分に山や山脈の名前が来る。原理はよくわからないけれど、大きな山を下る冬の冷たい強風である。「赤城おろし」というのを聞いたことがあるが、群馬にある赤城山塊から吹き下ろす冷たい風のことである。
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元に戻って、「石破おろし」だが、これは何のことはない、高いところから下ろすということ。物理的な意味ではなく、比喩的に社会的な地位の高低移動に転用されている。古語辞典を引いても「おろす」の項には、「退位させる」という意味があり、今回の用例はこれが近い。
終