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陋庵独語

個人的な文章の倉庫あるいはポートフォリオ
我楽多倉庫です。意味を成していない文章も多いです。役に立つものだけを書くのはやめます。結局何でも自分のためがいいです。

さいきんの記事

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    今日は固有名詞が由来になった単語

    champage, cognac : シャンパンとコニャックである。私はあまりお酒を飲まないから分からないけど、シャンパンはお祝いごとで飲まれるスパークリングワインで、コニャックはワインから造られた蒸留酒である。あまり意識しないと気づかないが実はどちらも地名から来ている。シャンパンという名称はフランスのシャンパーニュ地方から来ている。かつてはシャンパーニュという行政区画があったが、現在はさらに大きな行政区画の一部となっている。ちなみに、フランス語で「田舎」を意味しパンの名前にもなっているcampagneは、champagneと語源が同じ。コニャックはフランスの西海岸にある地方を指す。ワイン造りで有名であったが、同じくワインの産地であったボルドーとの競争に負け、仕方なく遠くオランダまで輸出する必要が出てきた。遠方への輸送コストを減らすために、水分を蒸発させた結果、アルコール度数の高いコニャックができた。英語圏ではブランデーといい、これは「焼いたワイン」を意味するオランダ語から来ている。フランス語では、eau-de-vieと言って、文字通りには「いのちの水」である。

    chantilly : 生クリームを意味する単語。発音は[ʃɑ̃tiji]([ji]はや行を無理やりい段で発音する音)。パリのカフェでcafé viennoisというのがあったから内容を知らずに頼んだら、“Avec Chantilly ?” と聞かれたので、適当に”Oui”と答えた。しばらく待つと、ホイップクリームの乗っかったコーヒーが出てきた。いわゆるウィンナーコーヒーである。ウィンナーコーヒーのウィンナーは「ウィーンの」を意味するらしく、viennoisはやはり「ウィーンの」であって、café viennoisは「ウィーンのコーヒー」である。そして、chantillyに戻ると、これもやはり地名から来ている。フランス語にyで終わる一般名詞はあまりなく、こういう場合はたいがい固有名詞である。地名といってもこれはChantilly城という城の名前から来ている。ホイップクリーム自体はイタリアで発明されたが、17世紀フランスのパティシエ、フランソワ・ヴァテールがChantilly城で働いていた際に、ホイップクリームを使ったスイーツで評判となり、彼の働いている城の名前が代名詞的にそのままクリームの名前になった。

    ......

  • 今日は歩くシリーズ

    marcher : いちばん一般的な歩くを意味する動詞。つまり、英語で言えばwalkである。これ以上特にコメントはないが、派生語が多いのが特徴。rをとって、marcheとすれば、階段の意味になる。階段でも、段数が短く、少し高いところに上がるためのものを指すことが多い。この意味で使うときはmarchesと複数形になる。過去分詞のmarchéとすれば、いわゆるフランスのマルシェである。いわゆると言ったって知らない人も多いだろうから簡単に言うべきか。週に一回とか月に一回とかで開かれ、広い通りや広場に店が立ち並び、野菜やら果物やら肉やら魚やらが売り出される露店市である。日本でマルシェというと、ちょっとオシャレな屋台ご飯やお菓子屋さんなどがある、お祭りみたいなものだが、フランスではもっと日常的というか、もちろんお祭り的なコンセプトのものもあるけど、基本的に日用の食材がメインである。つまり完全な対応物は存在しないと言っていい。文化の違いである。marcher sur〜という感じで、間接他動詞のように使うと、~を踏むという意味にもなる。

    se promener : 散歩をするという意味の代名動詞。promenrだけで他動詞的に使うと散歩をさせるという意味で、例えばpromener son chienとして、犬を散歩させる、つまり犬を散歩するという意味になる。ようは、se promenerは自分を散歩させるということ。構成要素を見てみると、pro+menerで、前へ運ぶという意味である。歩くだけでなく、se promener en voitureといえば、ドライブの意味になる。名詞はpromenadeで、日本語でもプロムナードと言うと、なんだか聞いたことのある響きである。都市に整備された歩行者用の小道とか海浜通りとかにオシャレをてらってつけられていることが多い気がする。

    se balader : ブラブラするという意味。balladeというと、日本語のバラードのもとだけれど、フランス語にそういう意味はなく、本来は詩の一形式を言う。balladeをうたっていた昔の吟遊詩人たちが各地を遍歴していたから、転じてブラブラするといういになったらしい。balladeはlが2つだが、baladerはlが1つだから注意。ぶらぶらの名詞はbaladeでlが1つ。ややこしい。ちなみに舞踏会を意味するbalはどう語源で、もとをたどるとダンスという意味にいきつく。

    ......

  • 今日は食べるを意味する動詞シリーズ

    manger : 最も基本的な食べるを意味する動詞。Nous mangeonsや半過去のje mangeaisのときは綴りに注意。日本語ではお昼を食べるというけど、フランス語ではmanger le déjeûnerとは言わなず、prendre le déjeûnerつまり、昼食を取るというのが普通。mangerのあとに来るのは、具体的な食べ物。

    bouffer : mangerの俗語表現。つまり「喰う」である。友達の間では普通に使いますね。これを名詞化したbouffeは食べ物、というよりむしろ、「食い物」を意味する。

    Tu as déjà bouffé à midi ?

    もう昼メシ食った?(昼に何か食った?)

    goûter : ちょこっと食べるという感じ。味見をするとか、試食をするというのが基本的な使い方。複合過去で使われると、特定の料理とか食材を食べたことがあるという、経験の意味にもなる。

    La Française n’avait jamais goûté le wasabi. C’était tellement piquant qu’elle en a pleuré.

    そのフランス人女性はワサビを食べたことが無かった。あまりに辛すぎて、彼女は泣いてしまった。

    ......

  • gecko : ヤモリ triton : イモリ

    道を這うヤモリを見てふとヤモリはフランス語でなんというのか気になった。発音は例外的に[gɛkɔ]。ゲコですね。下戸ですね。酒が飲めないんですね。多くのブラウザが採用するhtmlレンダリングエンジンがなぜかgeckoという。

    例文

    J’ai cru voir un triton, mais en réalite c’était un gecko.

    イモリを見たと思ったんだけど、実際はヤモリだった。

    étreinte : 抱擁

    英語にembrace(抱擁する)があるけど、フランス語のembrasserは主にキスするの意味だから注意。em bras serだから、bras(腕)があるのがわかるが、やはり原義は抱擁で、古い時代はその意味がメインだった。さらに、キスを意味すると思いがちなbaiserはセックスの意味もあり、むしろその含意が強いから注意。étreinteは中性的な抱擁の意味で、動詞はétreindre。

    feux tricolores : 信号機

    feuxだけでも信号の意味。日本語はなぜか緑信号を青信号と言うが、フランス語では素直にfeu vert,緑信号である。tricoloresはtri coloresで、三 色である。フランスの国旗は、drapeau tricolore.あるいは、bleu blanc rougeとも言う。青白赤である。

    Les français, ils grillent les feux tricolores tout le temps !

    フランス人は信号をいっつも守らないね!

    ......

  • Updated

    これは、Tailwindcssで文字にグラデーションをつける方法を、わたしが覚えるためにただメモしただけのもの。

    グラデーションの基本

    1. bg-gradient-to-方向(r,l,b,t,tr,tl,br,bl)
    2. from
    3. via-色(任意)
    4. to-色

    以上の3つor4つを書けば、背景にグラデーションがつけられる。

    <div class="h-10 w-full bg-gradient-to-r from-teal-700 via-sky-500 to-teal-300" ></div>

    bg-clip-text

    背景の例を応用して、“text-gradient-…“としたいところだが、これは上手くいかない。tailwindにそのようなクラスは定義されていない。そこで、“bg-clip-text“を使う。

    “bg-clip-text“は、背景を文字の形にするクラス。試しにピンク色の背景にこれを適用。このままでは、文字の色もそのままなので、“text-transparent```で文字を透明にして背景を見せる。

    <div class="h-10 w-full bg-gradient-to-r from-teal-700 via-sky-500 to-teal-300 bg-clip-text text-center text-transparent" >テストテストテスト</div>
    テストテストテスト

    文字にグラデーションをつける

    上記2つを組み合わせれば、グラーデーション背景を文字の形にして、グラーデーションのついた文字を見かけ上つくることができる。

    <div class="h-10 w-full bg-gradient-to-r from-teal-700 via-sky-500 to-teal-300 text-center bg-clip-text text-transparent" >テストテストテスト</div>
    テストテストテストテストテストテスト

    いつもやり方だけググったりAIに聞いたりして、その場ですぐ導入するけど、仕組みを知って書き方も覚えると気持ちいい。思ったことをすぐその場でできる方が気分的にもいいし、時間的にも効率が良い。

    ......

  • Updated

    本屋に寄って、新潮文庫の並びを物色し、黒い背表紙の太宰の本がたくさんあって、そこに『津軽』という題名が見えた。

    私は田舎出身の作家が自身の故郷について言及している文章が好物である。そこにその人の全てがあるような気がするというのか。やはり、幼少期から青年時代を長らく過ごした場所だから、その人の原点が集約されているのではないか、何か特殊な土着性が、その人の世の見方、ひいては、作品のあり方に影響してはいまいかと想像を巡らすのが楽しいからである。

    別に当の作家にとってはそういうわけでもないかもしれない。単にわたし自身の問題かもしれない。わたしは東京の何の特徴もない、ただ人が住んでるだけみたいなところで育ったから、なんというのか誇るべき故郷の特殊性のようなものを持たない。ながい休みに、帰省しますと言って、遠い故郷へ帰っていく人たちへが、なんとくなくうらやましく見えるのに似ているのかもしれない。

    ときは1944年、作者は出版社に津軽風土記を書かないかと依頼され、およそ3週間かけて津軽半島を一周し、そのときの調査をまとめた。これが、『津軽』である。

    1944年と聞くと、世は未だ戦争のただ中で、そんなときにも作家は悠々と旅行ができたと考えると、奇妙な感じがする。むかし、大正から正和初期の作家たちは、どうやって戦争を切り抜けたのかと思って調べたことがある。たいてい、作家というのは体が虚弱で、兵役の身体検査に落ちることがよくある。また一部には、精神病をのふりをするものもあった。ふりをせずとも、どこかで作家はみんな鬱とかいう題名の本を見た気がするが、元来正気ならば作家などやろうと思わないのだから、ナチュラルに異常だと判断されたのかもしれない。

    津軽出身の作家が他にいないかと調べてみると、寺山修司と葛西善蔵がいた。なんだか、津軽という場所が偉いところに思えてきた。そもそも、津軽とは青森のどのあたりを指すのだろうか。わたしは勝手に、青森の端っこのほんの小さい部分だと思っていたけれど、非常にざっくりと言えば、青森の左半分はすべて津軽地方だそうである。弘前市というのは聞いたことがあったが、これも津軽地方に含まれる。というより、津軽地方の第一都市である。

    寺山と葛西が生まれたのはこの弘前市だが、太宰が生まれたのは金木という町である。*津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうに気取った町*であるらしい。当時は都会ふうだったようだが、「オラこんな村いやだ」の吉幾三の出身地でもある。時代の波に遅れてしまって、20世紀も半ばを過ぎたときには、こんな村いやだとなるくらいには、何もない田舎になってしまったのだろう。

    『津軽』は序文とそれに続く全五章の本編から成る。序文は津軽地方のことを知らない読者でも、土地の雰囲気や地方のあり方をおおまかにうかがい知ることのできる、親切な導入部である。そこでは、青森市、五所川原、弘前、金木、大鰐、浅虫といった、著者が青年時代までに過ごしたあるいは訪れたことのある町に関して、自身の思い出が語られている。読者はその思い出話から各町の位置関係や特徴をありありと思い浮かべることができる。

    後に続く5章は、一様な内容ではない。基本は著者が出版社に頼まれた津軽風土記である。旅先での出来事が時系列で語られることを期待しても、そう綺麗に並んでいるわけではない。旅行案内や歴史書でもあたったのか、訪れた地の観光名所や歴史などが随所に挿入されたり。かと思ったら旅先の懐かしい知人とのユーモラスな話が始まったり。いつのまにか、重厚な文体で過去の事績の記述がはじまったりする。

    新潮文庫の解説を書いている批評家の亀井勝一郎氏は、太宰の全作品の中で一つ挙げよと言われれば、この作品を挙げると述べている。そう言うのも無理はない。全体を通して伺えるのは、全盛期の作家の抑制された筆致である。

    1940年代のこの時期太宰は非常に多作だった。短編として名高い『女生徒』『富嶽百景』『走れメロス』などは、この時期に書かれているし、作家としても挑戦的かつ意欲的な作業に取り掛かっていて、翻案物の『新ハムレット』や歴史長編小説『右大臣実朝』もやはり同じ時期である。一般に言われることだが、この時代、太宰は精神的に最も安定していた。戦後の暗澹たる雰囲気に溢れた作風とは異なり、つねにユーモラスと機知に溢れ、落ち着いた書きぶりで淡淡と物語が進んでいくのが、この時期に書かれた作品の特徴である。

    『津軽』もやはりその系譜にある。

    続く

    ......

メモ

東京青年ブルージー

ポケットに刃をつっこんで
今日も 東京の街をあるいてる
青いシルエットの歩行人たちの朗らかな笑みに
まったく苦笑をしてしまう

おれはこんなに真剣というのに
アイツらといったらのんきなかほで
いきもののほんとの色を忘れてやがる
おっとあぶねえ 肩がぶつかった
武器に気づいちゃいないかな

おっとあぶねえ 無意識に
ポケットの中でもてあそぶ
いつだって 出かけるときは研ぎ澄まし
うつむき加減で街をゆく

自分のゴム靴の軋りにイヤに琴線を刺激され
呼吸の擦過音が耳もとで反響する 蒸し暑い夏の午後 
ひとり 青い影の群衆に溺れている

突き立てられたナイフ
裂け目から 哀しくも血しぶきは溢れ出す
突き刺すたび わたしの心臓より 溢れ出す
細胞の蠕動と存在の厚みを掌握する喜び
自傷行為のオルガスム

ただ 哀しくも これは悪い血だ\

哀しくも これは悪い血だ
わたし以外の存在たちを汚さないために わたしは遠く最果てへ
わたしの内殻のひび割れから 葡萄色の鮮血が流れ続け
怪物 怪物 怪物
ただ 孤島の肉塊になり果ててしまった

めも

真夜中に消息を絶つ

こうして真夜中をひとりであるくと
わたしは黒い空間に溶けて
とまった時間の色になる

夜風のヴィオロンが頬をなでて
いつもよりすこしだけ気分が愉快になる

こうして闇夜に溶けていると
よるのいきものささやきがこえて
にぎやかに孤独をささめきあう

むねにたまった灰色の気持ちも
この夜には真黒の墨に洗われる
夜の匂いに酔いながら
正気で叫んでワン、ツー、スリー

この時間には誰もひとりの夜に消滅して
わたくしも仲良く消滅する
ああ、金色の孤独よ
世界に私だけの喜びよ
もうすこしだけ 醒めないでおくれ

バグ a reparer

publishDateとupdatedDateが、特定環境で空文字列になり、データスキーマでの処理に問題が起きる。content.config.tsの特にupdatedDateの部分で、空文字列だった場合にundefinedで返すとかして、エラーを防ぐ。

メモの実験です

astrowindからテーマを変えました。astroは、いい感じのテーマがたくさんあって便利ですね。何度か紆余曲折はありましたが、最終的にはシンプルなテーマにしました。多機能なものもありましたが、いかんせんコードが汚くて保守性が低い。しかもいらない機能も多くて、データ削除するのが手間だったので、最終的にミニマルなテーマを選びました。